ruru’s blog

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電話文化は早く滅びてほしい

何事も習うより慣れろ精神で生きてきてしまっている。もちろん、きちんと本を読んだりネットで調べたりはするが、「人からきちんと」教えてもらうのが意外と苦手だったりする。わからないこと人にちゃんと対面で会話して教えてもらうことがとりわけ苦手だ。相手の説明で理解できなければ、申し訳なくなるからだ。自分が悪いような気がしてくる。言葉は意外と伝わらない。私は口から発せられる音を理解して言葉や文章を脳に落とし込むことが遅いと思う。文字の方が楽だ。何回も読み返せるし、曖昧じゃない。連絡や質問はもっぱらメールやチャットの方がいい。つまり電話などは早く自分から発信するときも、まず文字に起こして修正したい。いきなり話し始めるのは難しい。話している途中でメチャクチャになって、肝心の言いたいことが1ミリも伝わらず、自分でもコイツは何を言っているんだろうという気持ちになる。

自分が理解できるように、自分に合った文章を探す方が良い。本も、買って読んでみて自分に合わなければ全く意味がない。万人にわかりやすい文章なんて珍しい。しかし、ある程度法則はあるだろう。それを習うべきなんだろうけど、エッセイを書くにおいてそれは必要なのだろうか。勝手な解釈だが、エッセイとは自分の思うままありのまま書くことであるように思う。が、しかしこれが間違いであることは容易に予想できる。ありのまま、なんの気なくいるようで、しっかりと基本があり、そこに巧みの技がある・・それが世の中のことわりである。そこに辿り着くまでに学習は欠かせない。だが、書くことにおいてはそれをしたくない自分がいる。書けなくなりそうだからだ。こうしなきゃいけない、に縛られすぎてしまいそうで怖い。考えすぎると動けなくなるたちだからだ。あと、馬鹿馬鹿しいという反骨精神もある。愚かである。何かいい本などはないだろうか。本当は合わない学習方法に出会うのが億劫なだけである。そして自分の書くことが間違っており、駄文であると認めることが恐ろしいからである。